20110927

俺たちのブルース探し

三輪二郎、Alfred Beach Sandal、伴瀬朝彦+遠藤里美、河合一尊で神戸と名古屋。
一週間過ぎてしまい、その一週間は余韻にひたりきって過ごしてしまった。
甘えですけど、切り替える理由もないと思った。

旧グッケンハイム邸はいいところ。というのはきいてたし、写真や映像みたらいいところなんだろうなと思うし。
でも建物がいいからってライブするのにいい場所とは限らないっていう、まあひねてますけどもそうゆう変に慎重な気持ちが行く前は正直あって、でも行ってみて一泊して、建物だけじゃない場所だということがわかった。
とんちブログに書いたけども、それはすごく大事なことだ。
私たちをもてなしてくれたのは人だったからね。
共有できることと、うけとりあうものと、それぞれの知らない生活とか思惑とか、あの一日にそうゆうのがきちんと交差したことは、とても我々幸運だったと思います。





ばんせがしゃべってた俺たちのブルース



二郎もアルフレッドもチェンバーもいいライブをみせてくれました。
アウェイでいい演奏をすることはとても大事だ。
東京はいいですねと 日常的にあんなライブがみられるなんて というようなことを何人かに言われた気がするけど、この三組をみるときは、どこでだって、いつでも、その贅沢さを私は考えます。そして改めてすごい三組と旅をしてるなと気づいた。
アルフレッドはどこでも揺るぎないし、三輪二郎はいつでも憧れだし、チェンバーは完成されていることが美しい。
そして北里も二郎も伴瀬もそれぞれにそれぞれの、男らしいやさしさを持っているやつらなのだ。そうゆうのがきちんと役割を持ってみんなを運んだ旅だった気がする。

ハポンではモノポリーズに感動した。
以前東京で観た時は感じなかったものです。今あの時のハポンでの演奏を思いだしても涙ぐんでくるような、いいようのない感激があった。
もちろん旅のテンションで感極まることだってあるし、そんなの関係なくやるひともいるでしょう。
それでも私にとって旅は特別なものだし、(旅の食事の観点でいえば)旅は日常でもあるし。
なんでもいいから自分の旅を持ちたいものです。自分の旅を持っていたらそれをみつけられる気がするので。
ブルースを探していたらほかのいろんなものが見つかったように、多分。
 

20110907

東京の演奏やります

 

東京の演奏  2011年10月29日 土曜 八丁堀 七針




【出演】


friendly hearts of japan


あだち麗三郎クワルテット


伴瀬朝彦
 




20110906

みどりの夜明け

 
時間がたってしまったので支離滅裂かもしれないけれど
アップします。


季刊おりんぽし夏のおたのしみ号、みてくれたみなさま、おんがくのじかんきくちさん、なにわださん、ありがとうございました!ファンタスタスと井手くんも協力ありがとう!


今回のプログラム

おりんぽしのあいさつ

おりんぽしのたのしいうた

休憩

おりんぽしの壮大な紙芝居 with  スペースボーイズとミニースターダスト

井手健介のうた

井手くんと尾林くんのうた

おりんぽしの名曲掘り出し大会

おりんぽし混沌ワールド

おりんぽし自分アンコール(カラオケ)

でした。
解説および感想など。


おりんぽしのあいさつ
たどたどしくも誠意にわしづかまれる掴み。
尾林くんの、ホストとしての意識に嬉しくなる。
おりんぽしのたのしいうた
休憩
おりんぽしの壮大な紙芝居 with  スペースボーイズとミニースターダスト
ついに尾林くんの物語がかたちになった、、、!
今までと、今と、これからにリンクする、小さなペモンヒョの大きなはなし。
尾林くんのおはなしがとても上手で、絵も上手で、素晴らしい紙芝居だったのだ。
その物語にファンタスタスが電気セットで音楽をつけてくれました。それはあたたかくおはなしを見守りながら更になにかを放出するような そのカタチはファンタスタスそのものだったし、みんなに参加してもらえてほんとによかったと思った。
すごくよかった。
やってよかった。
井手健介のうた
「あの紙芝居のあとに僕がやっていいのか」と井手くんに言わせてしまいました。
よかったのです。この順番は井手くんのリハをみてから尾林くんと決めたのだから。井手くんの演奏は何年か前に一度みたはずなのに、いままさに出逢えたという感覚でした。丁寧に作られた曲とシンプルに出す声(よい意味で)がとてもよかった。それに井手くんもちょっといかれてるんだろうなとも(よい意味で)思えたのがよかったな。
井手くんと尾林くんのうた
ナイスハーモニー!いいトーンのふたりでした。
おりんぽしの名曲掘り出し大会
おりんぽし混沌ワールド
若干わけがわからなくなってくるのですが、それをわたしは集中力と呼びました。
おりんぽし自分アンコール(カラオケ)
なんとか締まりました。


季刊おりんぽし、こんなに存在が地味で、あれだけ内容が派手な、イベントはないだろう。
表現すべき感想が多過ぎる。

大きい感想を。
おりんぽしの存在に関して改めて思うこと。
良いメロディ、個性的な構成と演奏、視野の壮大な詩、想像力の詰まったイメージ。
初めて尾林くんの弾き語りをみたときのことをまた思いだす。

季刊おりんぽしは弾き語りはつまんなくない、というコンセプトではじめた企画。
今やわざわざ言わずとも面白いソロをやるミュージシャンはまわりにたくさんいる。それでも、何年かおりんぽしをやってきても、やはり尾林星のひきがたりは特別だと、みるたびに思うのです。
才能のあるひとも、みせかたの上手なひとも、たくさんいるけれど、特別だと思うのは、たぶんきっとやっぱり、尾林くんの存在そのものなんだろうと、演奏だけではなく紙芝居の入った今回のおりんぽしをみたら、思いました。
尾林くんにはメッセージがある。
存在にメッセージがある気がする。
むしろ本来、人はそういうもんなんじゃないかと思ったりする。
ペモンヒョのはなしは尾林くんの曲のエッセンスのビッグバンみたいなものだった。


尾林くんにもわからないことかもしれない、そのメッセージを、伝えるべく受けとるべく、探すべく、季刊おりんぽしを続けたいと、また思う。
毎回、季刊おりんぽしをやるたびに、またやるんだ、と思えるのは、尾林くんが次のものをみせてくれるからにほかならないし、そしてみてくれるひとがいたからね。

真剣に季刊おりんぽしをみてくれたひとたちに、いままでもこれからも感謝と敬意を。
尾林くんを知っていてくれて、ありがとう。
どうかまたみにきてください。
尾林くんの演奏はどんどんハッピーになってきているから。
あれをハッピーと呼ぶべきか、わからないけど、尾林くんが尾林くんであるカンジになっていけばいくほど、私たちは嬉しいのです。




おまけのはなし
ペモンヒョ物語は紙芝居になる前の原作が大作過ぎて、その朗読をファンタスタスのメンバーは二時間読み聞かせられたらしい。寝たと言っていた。
いかれてるね!
(いつでも良い意味で)