20151202

ウラジミールによせて

何によせてもいいんだけど。
なんだかすみません。
今朝ホライズンの表明を読んで、うー今かよ…って思ったけど
まあ今でよかったし、表明も読めてよかった。
だから、今日のうちに書いておこうと思います。

休止だとか解散にしてやっと話題になるとかほんとお寒うと思いますが(それに関しては伴瀬も言及してますね)
やってくれてるうちに全力で愛すしかない、というのは私らいやというほど知っています。

正直、ホライズン山下宅配便が休止を決めて、私はほっとしました。
ホライズンが迷走するのはとてもつらかったから。
迷走していても、ある程度それなりにはやれた。
その「ある程度それなり」が、ホライズンにはまったくいらないものだった。
ホライズンは圧倒的で絶対的であってほしかった。
ほしかった、というのは私のわがままではなかったんだと思う。
実際、それがホライズンだったはず。

けど、今できる最高のことをすればいいんじゃないの?とも思ってた。
あの頃と今の違いに悩まずに、今の最高でいいじゃないかって
あのワンマンを観て思った。
でもそれも違ったよう。

水木先生が亡くなって。
先生しんじゃったけど、ひとつづきなんじゃないかなあという気がする。
多分身体は焼かれるのだけど、水木先生が消えたわけじゃない。
そういう感覚がすごくある。
と一緒で、ホライズンは
ここにいてもいなくても変わりないんじゃないかなあと思う。
いままでのホライズンという現象は消えない。
ホライズンの音楽が素晴らしいことは私の中でかなり変わらないはず。

でもさ、やっぱり「やってない音楽」なんて亡霊だから、
追いかけることはしない。泣きもしない。
私は休止を鼻で笑いつつ、
忘れないでいるだけだと思う。

私はリスナーとしてホライズンの大ファンだったし、
自己満で横柄な言い方かもしらないけど、ホライズンの価値を理解していたと思う。
でもわかってなかったのかって、ホライズンのお手伝いをクビになった時、
後悔したし、つらかったし、悔しかったです。
いろんな想いがありました。
こういう結果が、私の無意識下の呪いによるものなんじゃないかとさえ思って
自分を責めました。
けどホライズンがインドで結論を出して、
ばんせによって言葉になって、
てっちゃんやいっそんさんの気持ちもだいたいのところわかります。だいたいだけど。

だから、とても、ほっとしているのです。
もう少ししたら、かなしくなるかもしれないけど。








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