20191107

イエローサブマリン

『イエスタディ』観ました。
私はビートルズに関してはバナナマン並みかそれ以下と思うので
そんな人の感想ですが。

どうなーん?て感覚もありつつ観てたのに、結果胸がいっぱいというか、
自分の理屈なんて負ける、気持ちのいっぱいさ。
ビートルズが「ある」世界はそれってことだよね!ってとても納得いってしまった。

大学の時に
ビートルズ好きな友達がいて
この世界観きっと彼女は大好きだろうなって思って
ものすごい納得いってしまった。
それが
しにたくなるほどせつなかった。

いい人しか出てこないとか
陳腐なラブストーリーとか
上等じゃねえか、と。
いいじゃねえか、それの何がダメなんだよ、と。

けっこういろんなとこで涙してしまって気持ちよかった。
とにかくエルがかわいいよ、あの女。
 



20191021

コンパクトであること

日々こなしているようでもまったく整理ができていない。
端から片付けたらいいものを、
片付けてるつもりでどんどん何かが残っていくし
その間にも何かが増えていく。
もっと整理したいはずなのに、
実はしたくないのかも?
でもさすがに、明日はわからない雰囲気濃くなっているので
ちょっとでも今日手をつけなければ。
 



20191009

道標

4日連続の15000歩超えですよ。
自転車使ってないのもあるけど。
歩くし今日は走ったし
持久力ないけど走るの速いんじゃない?私
って気がしてきた。
とってもきのせいだとおもうけれども。

「ジョーカー」観ました。
同じ日に、佇まうだけで美しいおじさんもみました。
生き様とはなんだ。



20191003

うつ抜けしたかも

間あきましたが

結婚パーティに出席させてもらったり
またひとの仕事を手伝ったり
していて
それなりに楽しいと思っていたのですが

やはり仕事で、
どうもこれは、ウツっぽいぞという感じがして、
感情はもんもんもんとして、脳はジタバタして、
やっべーもおだめだーってなってました。

でも抜けたかも。

もちろん診断されてる人からしたら失礼なウツ使いなのかもしれないけど
このまま行ったらきっと決定〜ってなるんだろうなあという状態があって
(気づいてる時点でだいじょぶな気はするが)
その手前で抜ける、ということが不定期にありますね。

実感としてはやはりカラダが安定していないとそっちに傾きやすい。
夏休みが終わってらくになるかなと期待してしまった反動もでかい。

子どもたちもなんとなくモヤモヤイライラしている感じで、
わたしだけじゃーないのだと思ったことも抜けに一役。
孤独じゃないことは大切。
そして大事な人に対して暗い言動をしたくないものだと思ったのもひとつ。
孤独じゃないことに気づくことも大切。

もっと楽ちんになっててきとーになってやるー



20190821

PMS

もう怒らないと決めたのに怒ってしまうし、
いろいろうまく進まなくて仕事中泣きそうになってしまったし(さすがにこれは初めて)
なんでこんなツラいのかなと思ってたら生理になった。
月経前症候群ダスた。
安心するというとおかしいが、そのせいかとわかればなんだそっかと思う。
何でこんなイライラすんの?って自分でも動揺するような突発的な感情で行動をしてしまう。
その時に「PMSだから〜」って気づけば思い直すことができるのか?
私はあとで気づいて「だからか」って自分が納得するしかできない。
人にぶつけてしまったらなかなか言い訳できない。
「ゴメンナサイPMSだったんです〜」とか言われてもね…
自分で「だからか」って思ってちょっとほっとするしかできない。
そう思えないよりマシ、という感じ。
それくらいPMSの時の制御きかなさは驚異。
いや生理前気をつけてればいいじゃん!と言われても無理な突発性なんだよなあ。
私の場合です。もっとキツイ人いっぱいいると思う。










20190816

お盆

世紀の光、ブンミおじさんの森の二本を早稲田松竹で。
ひたすらにびっくりしちゃって寝るどころでない初アピチャッポンでした。
寝なかったのがちょっと残念みたいな気持ち…

実家に残っているうちの父の写真が結婚式でマイク握ってるシーンばっか何枚も何枚もあって、とりあえずうけた。




20190815

ひとの仕事

手伝いで、二日連続浅草に。
浅草に行くのはかなり久しぶり…ずっと東洋館行ってない。
しかしやはり馴染むような感覚はあって、よく来てたんだなと思う。

ひとの仕事の手伝い、というのは不思議なものだ。
素人のお手伝いですから…とはじめは自分主体で消極的にのっかるものの、
依頼主本人の働きを目の前にして、スイッチングされるかされないか。
あなたはこれでご飯たべてらっしゃるのね、と理解したとき
こっちが期待されてないのは百も承知、つつ
そのうえで求められてるのは何なのか
まあそんな深刻ではないけどそれを想うのと想わないとでは微細ながら自分の意欲や態度も違うのだなと実感した。
多分いままでも無意識にスイッチ入れてたり入れ忘れていたりしてたと思う。
目の当たりにした時にやっと動くものだ。
 つまり自分の仕事を人に理解してもらうことも難しいというか無いと思っていいくらいなのだなと感じていなければ、と自分にいいきかせる。

20190807

先日セッションで丸山さんが、ひっくり返った虫は直してあげるといいよとおっしゃってたので、なおしてやるようにしたら、ほんとにあいつらふっかつして飛んでいくのでした。
※セッション→TBSラジオsession22
※丸山さん→昆虫学者丸山宗利さん
※ひっくり返った虫→セミとかカナブンとか
※ひっくり返った虫→しんでるのかと思っていたが違った
※なおしてやるようにした→意識しだすとひっくり返った虫によく出会う。



20190803

TONES

猛暑の夕暮れに北里彰久『TONES』を聴く。
もうAlfred Beach Sandalではないのも、
でもとてもビーサン的だというのも、
自然と馴染んでくる。
特に言葉がというのでもなく、
特に曲調がというのでもなく、
音色がひたすら自然と馴染んでくる。

無心でそのトーンに感覚を凝らすような、、、と思うのは
タイトルにひっぱられすぎなだけだろか。
人にはつまらない感想だろうけど、
私はたいへんお気に入りでそう感じています。

残りの生きてる時間のうちに
こういう音をゆっくりずっと聴いていけたら
とてもいいんじゃないかという気がする。
ちゃんとせつなくて、とても楽な気がする。





20190731

「音楽」を待つ

岩井澤さんの映画「音楽」のクラウドファンディングに微力ながら参加させていただき、特典が届きました。

ちなみにここ数日のブログに書いてる出来事はけっこうタイムラグのあるコトなので、届いたのも一ヶ月前くらいのことなんですが。

DVDすごく良かったです。本編どーなるのかなあ!って楽しみになりました。
楽しみになった、とか単純だけど、一番伝わってきてるってことだと思うので、特典スゴイなあと思います。
それにこういった気持ちになることを送っていただけるのって、とてもすてきだなあと純粋に思いました。
一体何年越しなのか、
その間にもほぼ忘れながらも時々思い出しながら待っていた方が大勢いることとか、
ほぼ忘れていた者には想像の及ばぬ制作現場のロマンとか、
クラウドファンディングからのなんか色々あるんでしょううねりなどに、
かなり漠然とだいぶ無責任に想いを馳せることが、結構きぶんよいなと感じてます

前売りチケットを持っている方にどこかでばったり会ったら必ず買えるよう現金を持ち歩きたい。私は大橋先生にその辺で会える想定でいますが。どうかな。




20190729

名作

職場のぼろぼろの本を捨てるってことで仕分けをしていたところ、
「こんとあき」という絵本に出会った。
おばあちゃんが作ってくれたきつねのぬいぐるみのこんと、もちぬしのあきちゃんが
こんの修繕を頼みにおばあちゃんのところへはるばる行くというトイストーリーなんだけど
なかなかこれがクレイジーでこころわしづかみにされてしまった。


こんは、何が起きてもだいじょうぶだいじょうぶ。と言う。
駅弁を買うのにホームに降りて並ぶとか
発車ギリギリで乗り込んだドアにしっぽはさまれたりとか
しっぽはさまれて動けないからその場でお弁当食べたりとか
もうなんか、ちょっと頼りないマイペースな叔父さん、みたいな立ち位置で
「だいじょうぶまだお弁当あったかいから」とかいいながらしっぽはぺしゃんこになってたり。
「きっぷを持ってないわけじゃないんです」と車掌さんに言い訳したり。
砂丘で犬に咥えて持ち去られて砂に埋められたり。
こんの、あきの保護者のようなふるまいと、同時にぬいぐるみの虚弱さ、それがすごいバランスで心を揺さぶってくる…

しかも作者は林明子さんで、優しくふんわりしつつリアルなあの絵で淡々と綴られているものだから、よりパンチが効いてきてゾクゾクしてしまう。
もともとほつれたところを直してもらうために旅に出たわけで、さらにボディにガンガンダメージ受けてるこんの行く末に不安が煽られてしまう。
それでもひたむきにだいじょうぶというこん…
最後はおばあちゃんがすべて解決してくれるから安心してほしいんだけど。

これは大名作だな…と、ボロボロでらくがきだらけの本を捨てずに持ち帰りました。

こんの型紙つきです。
 








20190728

外にいる

昨夜の地震は怖かった。
眠りが浅かったところに揺れで目が覚めて、
まさか、と思った。

地震はいつでも怖いし、最近は毎回まさか、と思うけど。
つけっぱなしのラジオの生放送でスタジオが揺れていますと伝えてた。

昼間、仕事して
午後は、ぼけーっとして
フジロックの中継も今年はまったく観ず
(去年は少し観たのです)
長い梅雨のおかげで7月中はなんとかなっちゃったけど
暑い8月が来るんだなあと思うと
げんなりするのは、こどもたちが遊べないからだ。
お昼に出かけられないのは、大人も子どももつらいけれど
出かけるのも、キッツイ…
夏らしいことさえ、できないことも多い。

最近こどもといると、席を譲られたり声をかけられたりすることが増えた。
今年になってから急激に多くなった。
席はありがたく譲っていただくが、両隣に迷惑がかかる状況だと座らせるのもためらわれる。
声をかけてくる人は「大丈夫ですか」ときいてくる。
そりゃあ道にへたりこんだり寝転がったりしてる子を見たら「大丈夫ですか」ときいてしまうだろう。
でも、昨年まではほとんど声なんてかけられなかったのだ。
それまでも、私たちは道の上で葛藤していたのに。
なぜか今年になって何度も声をかけられる。

その時は、大丈夫です、ご心配かけます、というほかない。

「救急車呼びますか」と続くこともある。
うーん、この状況で必要ならもう呼んでるよ、と思う。
ちなみに、救急車呼びますかときかれても、手伝いますかときかれることはほぼない。

手伝いますかと言っていただいてもありがとうでも大丈夫というほかないんだけど。
手伝ってもらえばいいじゃんと思うかもしれないけど、
目的は運ぶことではなくこども本人が歩くことだし、
実は声をかけられることでこどもがイライラすることもある。

警察が来ることもあって、ちょっと嫌な言い方をされたスタッフさんもいた。
警察にも障がいに理解ある人とない人がいるのは知っている。
地域にこういう子がいるのでご理解ご協力いただきたいと多分私が伝えなければいけないんだろう。そのときそれどころじゃなくても。

ほっといてくれというつもりはない。
助けてもらえたらと思うことも多い。
無関心でない、ことは、社会的には理想的な状態なはずなのに、
このままだと、外を歩いたりバスに乗ったりすることを遠慮しなければいけなくなるかもしれないと思ってしまう。
たんに心配していただくだけでなく、通報されて警察が来て
虐待だとか非常識だとかかわいそうだとか危ないとかの意見が出たら何も言えなくなるだろう。
車に乗せてドアツードアなら解決する問題。
社会から見ればそれで解決だろうから。









20190727

ウサピーとピヨピー

しばらく書いていませんでしたが、書こうかなあと思います。
また続かないかもしれないけど。

最近は次から次に身体のどこかしらが不調で、これが老いるということかと実感しています。
不摂生な生活は続かないってことね。

ともかく、「トイストーリー4」を観ましたよ。
ファミリーで満席の中、高校生とか中学生の男の子のグループとかもいて、大人のお一人様もいて、それだけでもう「ああいい映画だった」って感想出そうになるよね。

あのラストで私の気持ちは、世界中の大人の懸念が消えた安堵!でした。
逆の結末じゃなくてよかった、救われた〜
って世界中の大人が思ったと信じたけど。
信じましたけど?

今回は、4は、と語れるような熱心さはないので
あとは心で反芻しますが。
やすむひまなく楽しかった。

ウッディと唐沢さんの顔が似てるっていうのは自分の脳が寄せてるだけなのか、
世間でも言われていることなのか。
私はいろいろなんでも、何も知らない。