初代東京の演奏MAX
20141205
ねじれ空の下で今年が終わる
私たちは常に、倉林哲也というひとにたくみにそそのかされ、またはたいがいあきれられ、そしてあたたかく迎えられる、を繰り返して、勝手に助かっているのかもしれない。
そして私たちは常に、井手リョウという人を勝手に亡霊かのように想い、勝手に狂おしい気持ちにさせられ続け生きていく、のかもしれない。
うにちゃんの毛がコートについているだけで
私たちはよろこびもかなしみもわかった気になる。
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