20101220

バンパクまつり

今週!?


KDハポン





昨年に続き東演×MC.sirafuの会心の作ー(こうみえてもすべて今年のための描き下しです!ねんのため。)

我々に作らせてくださった、モモジさんありがとうございます。

20101205

とうえん!2010

いま長野のビジネスホテルでこれをアップしています。
長野は寒い。寒さがとてもきもちいい。

こないだの木曜日、東京の演奏2010、無事おえることできました。
想いが多くて書ききれないけど、書いていこう。
反省は、おいといて。


あの日。
私が一番驚いたことは、みてくれたみなさんがかけてくれた声は、みんな「楽しかった」だったこと。
素晴らしい演奏、と言う前に楽しかった、とゆう言葉が出てくること。

きっとみんなが演奏を素晴らしいと思っているのに、それを体験したことを表す言葉がまず楽しかった、だったこと。
そんな素敵なことない。
だって音楽だから。ライブだから。

体験してくれたからだと思います。
みてくれたみなさんが、あの場を真剣に体験してくれたから。


仰々しく、今年最初で最後の東演とか言ってしまったけど、たくさん企画をできないことがつらかった。素敵な音楽はたくさんあるのに、場所を作れないことはほんとにいやだった。
それでも、私は意味がほしかった。私が大切だと思う、目に見えないものが、見えるような企画をやりたかった。
特別なことを、あたりまえに、やりたかった。

だったらほんとにやりたくなるまでやらなくていいんだと言ってくれたあの人の言葉を、いま思い出しています。

だから、それがついに、やろう、って思えたこと、やらせてもらえたこと、やってもらえること、それが決まっただけで、私はほんとに嬉しかった。
それは、私の個人的なことで、誰にも関係ないことかもしれない。
けれども、そんなことは知らなくても、来てくれたみなさんは汲んでくれたんだと、私は思ってます。
この日が特別だということを。


いつも、いつも、私はお客さんに救われています。助けられています。
自分がどんなにいいブッキングだと思ったって、みてくれる人たちがいなければ一切意味がない。
みてくれて、感じてくれて、楽しんでくれるお客さんのみなさんがいるから、私はやってよかったんだと思えるし、はっきり言って東演のお客さんは良い。どのお客が悪いとかゆう話じゃない。
イベントをみたひとならわかると思う、あの場にできる大切な空気は、誇りです。

それをつくってくれるのはみてくれてるひとたち。
それを私は言いつづけたい。それがライブであり音楽だということを。


オラリーが言ってた。素敵なひとばかりが集まると。私はそのことだけに関しては誰より恵まれていると思う。私のまわりにいてくれるひとたちは、素敵なひとばかりだ。
だから思うのです、ここにおいで、と。



当然、
素晴らしいひとたちが集まるのは、素晴らしい音楽があるからです。



それをみせてくれたのは、なつやすみバンド、小鳥美術館、片想い。



私はこのイベントをするのにあたり、なつやすみのことを全然宣伝していない。何度かライブをみたけれど、ブログも書いていない。
その理由は、なつやすみの音楽に私はひとことも、何も書けなかったから。
彼らの音楽に対し抱く感情は私なんかには言葉にできなかったし、したくなかった。それはとても大切な感情だったのです。
大高くんが抜けてシラフが入ってという過程にあっても、信頼していた。
12月2日にあの演奏をしてくれることはもちろん予想のつかなかったことだけれど、何も不安はなかったし、お客さんもきっと知ってくれると確信してた。
私にはこれからなつやすみバンドがどうなっていくのか想像がまったくつかない。想像したところで、私の考えなどはるかにしのぐことはわかる。
素晴らしいバンドです。


名古屋からきてくれた小鳥美術館、初めて東京のそとからお呼びした音楽。
VIDEOTAPEMUSICと名古屋に行ったとき、出逢いました。
あのとき私は、初めて音楽というものを聴いたかのような感覚になった。
音楽を聴いている!みている!という感覚と、きてよかったという感動で、どんどん涙が出てきた。
それを、東京のみんなに、みてもらえたこと。
何故私たちが小鳥を呼びたかったのか、知ってもらえたこと。
ほんとに嬉しい。

館長と、飼育係、ふたりの存在そのものが美術館なのだと私は思ってる。
楽曲の美しさ。オリジナリティ。物語。ユーモア。奇をてらわない必然の演出。
それは音楽に付随する演出ではなく、演出そのものも音楽。
なにをもって音楽か、言葉にできないことが、小鳥美術館に展示されている。
彼らは謎のホームページしか持たない、オリジナルの音源もマイスペもない音楽家。小鳥美術館のライブをみられることは、どんな高価なチケットを手に入れることより価値がある。

ライブ後大仏になりました。スミマセン。


その、価値というのはすべてのことだ。私にとっては
有名とかそうじゃないとかいいとかわるいとか
そんなことより、すきなもの。それになにより価値がある。


そんな、愛するバンドである片想い。
あのひとたちに言うことはなにもない。
ただ彼らのライブを信じてるだけ。
管によせて、の、シンくんのあの召還。ああ!
シークレットで轟渚さんがでてくれました。みんながびっくりしてくれて嬉しかった。
すべてを、
国境、
二曲を、うたいあげてくれた。素晴らしかった。
そうゆうのは、すべて出逢い。
ceroのあらぴー、はしもと、たかぎくんが参加してたことも、私はいつも出逢いを思う。
そこにも、はっきり言って愛しかない。
繋がっていくことのダイナミズム。
そうゆうのを感じることは何よりも意味があって、楽しいと思うんだ。

踊りがホライズンの期待ダンスだったこと。

倉林さんの料理解説。
倉林さん、入り時間からずっとひとりで、あれだけのごはんを作ってくれました。
あんな、おいしいものを。
優れた音楽家に音楽をさせず。
でもきっと、倉林さんには音楽も料理もおなじ。
私たちも同じように、いただき、感動し、いただく。
おいしかった、と反芻する。
また食べたい、と思う、こと。
倉林さんはもうすぐ予約制のお店をひらきます。
必ずや予約させていただきたい。


とんちれこーどの連なり。
私はそれにどれだけ嫉妬し、あこがれ、恩恵をうけているか。


片想い、東京ではしばらく演奏しないとのこと。
東演にケンカ売ってますね。
正直、そのことに私はあんまし何も思わない。興味ない。
それはただのおもいつきで、ただの「流れ」だと思うから。
いつまでやらないのか、どこまでが東京なのかわかんないし。
でもね、
片想いが演奏するならきっとどこでもついていくひとがいるし、
きっとどこでも感動を与えていくんだろうと思うと、
それは普通のことではないすごいことだと思う。

片想いが愛されているから、与えてくれるものがあるから信じる。
それを悪い意味では裏切らないでほしい。どんなかたちになっても。

ただ、シンくんがどさくさで
よばれようによってはやりますよ
って言ってたから
よびようらしい!
誰がそのよびようカードを切るのか楽しみだ!



イベントのこと。
小鳥美術館をよべたのは、440金杉さんのおかげです。
440のシステムのおかげで、遠征をお願いできたのです。
ライブハウスのシステムのことなんて、みんな興味ないかもしれない。知らなくてもいいことかもしれない。
だけど私はそうじゃないっていう考え。
アマチュアの音楽活動には場所が必要で、それにからむお金が必要なのです。
私のようにコネもお金もなかったら企画はできないことになっちゃう。
安いとかタダとかそうゆうことじゃないんです。
場所と、使うひとが、ちゃんと対等で補いあえなきゃいけない。
これからはそうゆうことをすべての音楽に関わるひとが考えなきゃいけないのです。
そうじゃなきゃ、あなたの愛する場所も、音楽も、なくなってしまうかもしれないんだよ。
なくなってから何を言ったって、意味がないんだよ。


ただもちろん、今回私が440にちゃんと還元できたのかなんて、わかんない、多分できてない。
それでも金杉さんはたくさん相談にのってくださったし、いいイベントだったと言ってくれました。
お客さんがあったかい、とも。


みなさん、
今回はチケット代も普通に2000円だった。
お料理も販売だった。
それでもCD買ってくれたり、お酒のんでくれたり、おこづかいいっぱいつかってくれたよね。
そのせいでいきたかったライブ削るひとだっているかもしんないよね。

そのことにほんとに感謝してる。
お金つかってくれてありがとう。

そんなこと言うと醒めちゃうよというひともいるでしょう。
だけどそれが現実だし、それをかみしめながら私たちは企画やっているんです。


それから。
なべと名古屋にいってなかったら、この日はなかった。
なべには今年ちゃんと出逢って、なんとなく色々かかわってきて、今はディス友達のライバルという設定だけど 感謝してる。いろんなことをね。
みんながなべに頼り、信頼している。
だから今年一回の東演で、なべが一年とりためていた、愛するミュージシャンたちの映像を流せたことがほんとに重要なこと。
ぎりぎりの急なお願いだったのに、頑張って編集してくれたんだ。
素敵だった。

それと、名古屋で小鳥に会えたのはハポンのモモジさんのおかげ。
名古屋で東演やれるのも。



そして、私がいまいい音楽を知れているのは、すべてのミュージシャンのおかげです。私はあなたたちに鍛えられてきた。
何がいい音楽なのか判るようになった。
すべての愛するミュージシャンたち、私を鍛えてくれてありがとう。
でもね、いい音楽と好きな音楽は違う。あなたがその音楽をしているから、その音楽をあなたがしているから、好きなのです。


そして、私とともに成長してくれているみなさん。
別にともに成長してないよ てか。
私はそうゆうふうに感じたんです。私たちはきっとみんなで、気分を共有し、意識を育てている。

それがシーンというものだと、私は思います。


すごくおこがましいことも書いたかもしれないけど、
なにもかも大事なこと。
意見があったらきかせてほしい。


そうゆうすべてのあとに、最初に戻ります。
あの日を楽しんでくれてありがとうございました。
あの日を楽しくしてくれてありがとうございました。
あそこにいたすべてのひとがつくった、一日。
それが何よりも音楽的だと、東京の演奏は思っています。


追記。
でもあの日、楽しめていなかったひとがいたことも私は知っている。
それが悔しいとは思わない。
でも私はリベンジをするべきなんだろうと思っています。
よく考えようと思います。
とにかく来てくれてありがとう。