20120130

朝はいつもとかわらない

週末に灰緑とhappleをそれぞれ観たので一緒に書こう。
もうこれは仕方なく、私にはやはりhappleと灰緑は繋がった存在です。
灰緑といえばhappleを、happleといえば灰緑を思う。
それはいなかやろうから灰緑を知った、というだけではない、ストーリーが確かにあったけど、もうそんなこと思ってるの私だけかもしれない。というか、もともとそんなストーリーは私だけのものか。
今は彼ら、別々のかたちで別々の場所で音楽をやっているけど、でもすごい大事なんです、あの人たちにもらった愛情というのは。
って、今書いてみて、そうだったなあって思った。

今にも死んじゃいそうな灰緑がほんとに好きだった。せつなく恐ろしくも好きだった。
今にも死んじゃいそうな灰緑はもういなくて、オメーラどこでも連れてってやるよという覚悟の、そうゆう灰緑になったって気がします。
だってもう新曲きいたときにわかりました。ショック受けて感動して泣きました。
希望って言葉しか思い浮かばなかった。 
この日灰緑とは一言も話をしてないんだけど、そう思って帰りました。どうかなあ、そう思ったんだけど。笑、、、
お客さんは灰緑のことを「教祖、、、!」って思ってるんじゃないかと予想しました。
どうでもいいけどおさむちゃんがドラムたたきながらメガネを直してるの見て、ハラさんのコンタクトの理由話を思いだした。
「ファイアーー」つってたよ、おさむちゃん。ともだちみんなと観にゆきたいぜ、灰緑。

happleが三人になって、観るのははやくも三度目だ。
変わっちゃった、、、とか何も考えないで、楽しむことができるんだよー今のhappleは。
あさみさんの鍵盤二台でベースをブイブイこなすのに釘付け。
ばんどうさんがメインをとると無条件にぎゅーっとくる。
土岐くんが自由に(それとも結構決まってるのかな)弾いてる姿をみるのは至福。
三人のコーラスのたびにぞわぞわする。
ラップのトラックかなり好き。
やまもとそうすけもバヨリソ入った!
そしていつもだいたい、最初から最後まで泣きそう。これだけはいなかやろうのときと何も変わらない感覚。
happleは「俺たち今やっちゃいけないことなんてないんだよ」と言ってた、それはとても嬉しかった。もっともっと好きなだけ自由になってください。



こんなにたくさんのことが変わったのに、彼らはあきらめなかったんだよなあ。
私は、あきらめたんじゃない?っていう、恥ずかしい気持ちなのに。
頭ガーンてやられるような気持ち。
それなのに、何も変わっていないかのような気持ちにさせてくれている。
不器用二大バンドともいえる彼らから、学んで与えられてばっかりだ。


 







20120129

今年なので書く。

最近PAに関して、出音に関して気になって、ことしに入って一ヶ月だけで既に何度かPAに対しイラっとしている。
そして気になる度に自分がいやにもなる。そんなことまで気にしてるのはオマエだけだよ、と思う。

でも最近はまわりにもハコのPAさんではなく乗り込み(というらしい、最近知りました)でやってる人たちがみうけられるわけで、ライブで重要なポジションであることは忘れてはならない。
裏方さんかもしれないけど、むしろそのライブを握っている存在なのだ。
LOFTの出音良かったわ〜っていうのは嬉しいことだったし。
ビーサンでとくのうさんがついた時なんかは、「PAとのセッション」なんてのすら観ることができた感があるわけで。

PAとか中音とか出音とか鳴りとか、お客さんは普通そんなことは気にしない。
私だってたいした知識はないのに、ちょっと知っている風吹かして気になってしまう自分がいやになるのだ。

でもどうなんだろう。
知らなくてもよいものか。
悩んでいる。

お客さんはそれをも含めライブないしハコを評価してもいいんじゃないのかとは前から思っている。
ハコ(と言う表現でブログに書くのもどうかと思うが)の評価ってしてもいいものだと思う。
私たち客に直接関わる受付とかバーカウンターとか居心地とか料金とかはもちろんだけど、PAさん含む専門的なスタッフ、システム、ミュージシャンとの関わり方なんかも含めて、客は評価していいと思っている。
払ったチケット代にみあっているのか、大好きなミュージシャンが出演するにみあっているのか、ってこと。
ミュージシャンは立場が弱いのだ。
もちろんハッキリ主張するミュージシャンもいるけど、本当は私たち客が善し悪しを評価して、好きな音楽のために必要なら抗議だってするべきなんじゃないのか。
お金払ってるんだから。
私たちの払ったお金が、観に行ったミュージシャンに全然まわらないこともあるってことくらいは誰でも知ってると思うけど、それでも音がいいから払うとか、場所が好きだから行くとか、そこまで考えてライブを選んだっていいくらいだと思うよ、私は。
私は自分の感覚にも知識にも自信がなくて、抗議をできなかった。そのことが余計にいやだった。(普通にミュージシャンに迷惑がかかるだろうしなあ、笑)
だから知ってもいいと思うんですよ。お客さんがもっと、ライブ自体を。
音楽が良ければいいのではなく、その音楽が鳴るための構成の全部を知ってたっていいと思う。
もちろん、知ることは余計なことという考えもあるでしょう。私もそう思うことはよくある。知らなければよかったってことは多々あるさ。
でもそれは、悪いとこに気がつくためだけじゃなくて、良いものをしっかり評価するためでもあるんです。

私がPAに対してイラっとした事件は、「このハコのPAは腕が悪い」という話ではなくて、ミュージシャンやイベントの関係性やら状況やらが生んでいることだったと思う。だからこそ、そういう部分も含めて今ここで何を評価すべきか、ってのを見極めてほしいと思うのです、客であると同時にイベントをやっている自分は。
そんなことを考えてたら楽しさが半減するでしょうね。
でもそうじゃないと良くなんてならないなんにも。
楽しさが半減しても、面白さはあると思う。
イラっとすることがあると、だいたい勉強になったなとあとで私なんかは思うので。
 




20120128

宅配便 THE WORLD

ホライズン山下宅配便の良いライブ
たまてばこはくらんかい以来のカチっとくるかんじ
手応えー
うれしいものです

どんな要素があったらカチっときてるって思うのかは私わかってないんだけど。ホライズンは奥深過ぎてわからんから。味わいつくせないからこそのやめられなさだと思うけど。でもなんか観たあとの気分が違うから。

「半人前」の衝撃よ。ビートルズ友の会/外国人ききとり調査を目の当たりにした衝撃と、黒岡アクトの衝撃と。(この光景はずっと忘れられないだろう)オマジナルの確立。
「大恋愛」の満足感、痛快。この曲は聴かせる曲です。聴かせましたね。
「期待」に飽きたと思ったときがあった。けれども新録により改めて良い曲だと思いなおしました。しかも今回は伴瀬さんがアレンジを変えており『おっ!』となりました、新鮮さもあわせて。そしてやっぱりあの期待ダンスのあとのしあわせなかんじは、異様であり凄まじささえおぼえる。
メダカもハンバーグもホライズンのコーラスにかかれば赤子の手をひねる。
ホライズンは夢を感じるけど頭突きで目をさまされもする。
気合いと丁寧さ。
個人戦だけどタッグ。
いろいろ思いながら。
「レモンと肉ひだ」のブレイクで黒岡さんがシェーをきめた時が個人的にハマってしまった。なんでそこで?だけど、思いだせばとんちオペラの時に、セリフ少ないはずの片岡シンが一番面白くて、シンくんは立ってる姿だけでおもしろみを語れていることに感動したのでした。このときの黒岡さんもシェーのひとコマだけでほかのアクト全てに通ずるようなおかしみを、最大限醸していたんではないかと。シンくんもホライズンも愛しさや哀しみみたいのがはさみこまれたおかしさなんですよね。
意味は無くても意志のあるアクト。これだ。
あとストロボ指定の絶妙さとか即興ネーミング能力とかみどころが多く、、、
この日のアクトは怒濤だった。一分のすべりもなくひきこんで、曲をしっかり聴かせて、(笑わせてざわつかせて)、初見のおきゃくさんも多かったと思うけど、会場にじわじわとホライズンが浸食していくかんじがわかった。
ホライズンが伝えようとし、それができている。
うれしいものです。観られて。
LOFTは出音がよかったなあ〜

ライブ終わると雪が降ってた。寒かったけども。
ホライズンのシングルがもうすぐ出るんですよ。
今までとは違う面白さが始まるんだと期待しているのです。






20120116

めんてなんす

新年一本目のライブでPAにキレるというかなしいことがありました。直接「テメー!」とか言えたらいいんですけど、客として。
そもそも、予想している出音が違うなんていうのは、こっちの勝手な思い込みなんでしょう。演奏はいいのがわかるのに、ベストからはかけ離れた出音だと感じてしまった。
何度もライブを見てしまうと、そんな部分が気になって音楽そのものを楽しめなくなってしまうんだろうか。
そんときのショックは出音悪り〜よ〜ってことより、それを気にしてライブを楽しめなかったこと。
落ち込んだ(カゼひいた)

昨年末から感じていたことだけど、私はすっかり世界をせまくしている。
自分の世界に気をとられて、色とか匂いとか気配とかを受けとる機能が低下している。
もっとシンプルで奥深い視野を育てたいし、その感覚を取り戻したいです。
やっぱり初心に還るというテーマなわけですね。

思い入れや流れを排除して気分だけの軽薄なリスナーでありたいと、
軽薄でさえ足を運ぶ音楽とはなにかと。

Alfred Beach Sandal/きたざと、ばんせ、PAとくのうさんのユニットをみることができました。アルフレッドのライブは私にとって「軽薄でさえ足を運ぶ」のに理想的です。
たとえば音楽的に曲とか声とか言葉だとかセンスだとか、ライブとして緊張感とか新鮮さとか、わかんないけど色々と、アルフレッドはレーダーチャートにしたらとても優秀なバランスで高評価だろうと思うのだけど、人格的にも、きたざとさんはまったく優等生だなあ(フン。)と思うのだけど、そういう部分はもちろん前提なのでしょうが、もう少し心の部分で私はアルフレッドの音楽を欲している感覚がある。
あのライブを観ると洗われたように俄然気分がよくなる。
よくなった気分をすかさず宝箱に閉じ込める鍵する!だけ!で、あとは何も言わないでいいかんじ。
えもいわれぬあの気分は、いまはきっとアルフレッドでしか味わっていない。

忘れたりもうとりもどせなかったりすることがたくさんあっても、育てられてある今の感覚にはなくしたくないやつもあるわけです。
 


20120108

もー

今更ですが「七針系」って言葉が話題になってた、その発端をよく知らないでかきます。
私もガンガン使ってましたけど、使って面白い時期はとっくに過ぎていていつしか使わなくなりました。
それを言う時には侮蔑ふうの表情を持ちながらもあきらかに彼らの話題性と知名度と才能に羨望と嫉妬があったからです。だから面白かったんだから、今「七針系」を使っている人はおっせーよっていうか、面白くない意味で使っているのであれば、さきがげて使っていた主に私らは遺憾です。むしろ心外です。
七針系という「言葉」はいまや敬意という「態度」に変わっています。
誇れです
七針でやったことないひとびとが入れられてたってもあったみたいですが
どっちにしてもいちいち気にしてんじゃねえよって想いもあるんですよ。
どこへ行ったってまだまだ狭いところでやってるんだから、その先へいくんだから、そっちだけみてりゃいいでしょうがー!
もー!


それと別の話ですが
ミュージシャンなんて結局排他的なんだからッ!っていう思いに新年早々グルグル囚われています。今午前8時なので寝て起きたらわかりませんが
Q「音楽は自己中心的なものではない」
の問いに、「ハイ!」「イエス!」と元気よく答えられるリスナーでありたい。
何をも怖れず音楽を信じたい。
音楽家本人の意図さえ無視して信じるリスナーでありたい。
私はリスナーなんだ という 原点に戻りたい
今年のテーマは原点回帰か
 




20120107

はなすうた2012

あけましておめでとうございます。
昨年とは違う一年を!
いままでにない一年を!

昨年末は年末年末した気分を味わうことができました。
かけこみでhappleやサーティーンや松倉さん、NRQ(牧野さんいなし)をみることができましたし。
サークルサウンズでみたhappleはキーボード二台(正確には三台)にドラムというみためもおしゃれな編成でラップとかもやってました。って書いたらどんなことをやってるんだって思いますね。おしゃれなことをしています。じっさいおしゃれなのってああいう音楽だと思います。
中田くんも、西宮くんも、サークルサウンズのマスターもお元気そうでよかった。
フニャちゃんにApple情報をもらいました。

あとクリスマスのceroワンマン。何もいうこたない!ないよ、もう!
九龍ジョーのあがりっぷりがよかったです。

九龍氏といえば、roji忘年会のアクトもよかった。あんなに安心してついていこうと思える人はいないですね。
これからもみんなのrojiを大切にしようね!

で、やっぱりまた東演まつりみたいなことをやりたいなーと思いました。
こればっかりは「やったらいいじゃん!」でできることではないので
やりゃーできるんだろーけれども
ああいうおまつりができる状況っていうのは私にとって夢みたいなもので、困難でなければ意味のないことっていうかな。

年越しはスーパー銭湯でしました。なかなかいいものだ。
そして年始早々色々と迷っております。
もちろん迷いのないこともしっかりある。
音楽に関わることなんかの発言に関しては私、なんでも理由を言えると思ってしております。
なんでもきいてください。
っていつもおもってるんですよ。
昨年は内で消化できる状況にいたけど、も少し発信できたらいいのかもしれぬ。
意外と日々いろんなことを考えているんですよ。
話をしないといけないようです。
僕にはわからないんだー 僕が何を思ってるかなんてー っていう原点に戻り!
 

伴瀬朝彦とMC.sirafuのけがれたかげさいこーでした。
今年もよろしくお願いします。