20090228

倦怠期

しゃぼん企画にいってきた。
よい夜でした。
しゃぼん久しぶりにみたけれども
さらにデッカイ感じになって
コーラスにも力入れてて
構成もドラマチックで
なんか感動しちゃったなあ、
しゃぼんはイメージのつよい音楽なんだけど
あの暴れてるカンジも好きなのです
そりゃー、6人ものにんげんのエネルギーがぶっつかってるんだから、
暴れがなきゃウソだよなー。
ってこうゆうこと前にも書いた?
じゃあやっぱりしゃぼんの魅力はソコなのかなー。


しゃぼんのみんなおつかれさまでした。


東京chanzz

片想い

indus and rodks

おりんぽし

sa♯bon


スゴイめんつだったので私もとても疲れちゃった。
でもしゃぼんのこと書きたかったのでとりあえず。
楽しかったです ありがとう




バンドっていいですね



20090222

変われない頭







物販とはいつでも愛しいものだ。
夜の夢、こないだUFOへ行こうと思っててちょっと行けなかっちゃったので、下北いこー、と思って、そしたらアコースティックナイトっぽいという情報、一瞬そっかあと思いましたが、むしろこりゃ面白いぞと思って行ってみました。アコースティックといえばひきがたりかなとか考え、勉強のつもりで、夜の夢何時に出るかきいてなかったし、まあ全部みるかと思って最初からみたんだけど、まあ予想通りな雰囲気で、勉強にはなりました。
こうやって考えると、やはり「嫌いという感想でも何も思わないよりマシ」というのがありますね。
それはどうでもいいので素敵な夜の夢のはなしをしよう。
Daisy barの上のフリースペースみたいなとこ、Lushのhomeみたいな、BASEMENTのWEDGEみたいなカンジですか。カラオケボックスの匂いがしたな。で、ドラムセットも無善寺よりちんまりした、
とにかく、そういう場所だったので、夜の夢もいつもと違うものを準備してた。
で、いつもとは違うもので、でもちゃんと夜の夢は変わらない、すごい上手くやってたと思いました。
半径が15センチくらいのシンバルしか無いドラムでも。
なんか夜の夢って、ほんと空気というか世界作るのが完璧だなと思った。
二人だし、音もそんなに重ねてなくてむしろ引いてるカンジなのに、ブレイクも音になってるような、すごくうまく世界つくるなあと思った。
そういうのは当たり前なのかもしれないけど、夜の夢はほんとにうまいと思う。
で、新林さんのピアニカ、いつもは独奏(独走)だけどギターと一緒に演奏する曲スゴクよかった。
ユニゾンもかなりぐっときたー。
それから夢の夜もやった。これは山田くんのドラムの使い方(叩き方ではなく使い方)もすごかったし、新林さんのギターがきけたのもわくわくしました。
ふたりは緊張したっていってたけどなかなか懐のひろさを観させてもらって、やっぱり曲もことばもどれも良くって、いやー、面白かった!
行ってみてよかったなあと思いました。
夜の夢の存在に心から癒された。楽しかったなー。
なんだか元気でてきたよ。
夜の夢のステージはちょっと暗い&遠いポジションでみてしまったので、物販しかうつしてないのですが、彼らこの日CD二枚売れましたぜ。一枚目を買ってくれた見ず知らずのお兄さん、もしここをみてたら(みてる可能性はほぼないのだが)また是非!!



ほで
言わなかったけど、ねずみBBSに、「スペースシャトルをやる気分になるかもしれない」とかなんとか予告があったので、うそのかきこみかもしれない、と思いながら、八丁堀なんつう土地へ。
西宮くんソロ。
フォトジェニックの西宮くん。
正直最後までビクビクしていましたが、でもやらなくても私はだいじょぶ行ってよかったと思ったと思う。
やっぱりこの人すごいなあと思って演奏。
自分でも「変な人じゃないんで」って言ってたけど、変な人みたいだよね。変な人だと思う。だけどねずみさんはじっさいはいちばんシンプルなんだなあ、この人。と思って。
よくわかんない人だなあと思っていたけど、ほんとは一番信用するべき人なのかもなあと、思いました。
なんかおかしな言い方だな。いままで全く信用がなかったみたいないいかただな。
だってまたも、あー、って思うことを、また、言ったー
ねずみ語録です。
ねずみ先生です。
いっつもはっとして、安心させられちゃうのね。
なんと言ったかは、内緒にしよう。
それはもう、私にはおおきいこたえ過ぎて戸惑うくらいじゃないか。
多分ねずみさんは、あたりまえじゃん、てことなんだろうが。



「あかるい新曲」がとてもよかった。
あーあ、
もう一回ききたいな
「スペースシャトル」はほんとのかきこみとなり、この曲はながーい曲で、ねずみさんの曲には珍しく、場所の名詞がでてきて、ほんとに、ほんとにほんとなんです。絵巻みたいなながーい曲で、ぺたんて座って演奏してたけど(写真下、座り準備)しないと倒れてしまうくらい多分、つよい曲でして、きけてヨカッタ。
御茶ノ水のあたりでくあーんてなって、高円寺に着いたらもうぐぅあーてなります。
それで私は高円寺の駅から南に向けて帰るとき、ねずみバンドのアルバムをアイポッドでききながら行ったのですが、この曲を作って演奏してる人はさっき西へ歩いて行って、同じように高円寺の中を帰路についてる途中、と思ったら、それはすごいことだと思いました。
そういうのが私の東京の演奏なんだろーなー。
すばらしい音楽をやっている人たちがそこにいるということ。
なんだか不思議な気がするよ。






20090220

メッセージ

そいでcero観た。グッドマンというライブハウス然とした場所で、立ちで観るのは久々な気がします。もうまずceroっちゅーバンドは、ニクイですねえ。どんどんその瞬間の音楽を体現することが出来るんだもんね。一曲目にやった曲が信じられないくらい全く今思い出せないが、ペンギン、ターミナル、カヴァー、あののか、というラインナップも自由な気がしたし。だってもう「大停電」とかやってしまえば一発なのにそういうのは無いんだもんな。とか、そんな話ceroには意味がわかんないくらいでしょう。とりあえずceroみたいな空気感のバンドはグッドマンではみたことないなと思いました。
口ジャム(と、私は呼ぶのですがあれはきっとなんとかいうんだろう)ではオーケストラの本領を発揮してるなあと思いました。
そんで今これたまゆらから拝借してきたわけですが鈴木茂さんの「砂の女」(ヒックスヴィルのおふたりがうつってないでしょうかコレ?)
を、この日カヴァーしたのは、出荷停止に対するceroのアクションでした。
私はそのオブジェクション自体よりもやはりそれを当日の朝やろうって決めて30分の5曲のうちの一曲にしたceroに対してなんとも言いようの無いジェラシー的な感覚がありました。
はしもっちゃんはその日ハイラマズのことで頭がいっぱいのライブになるのかと思いきやいつもより全然楽しげで集中してるよーにみえました。
前回初グッドマンの時は微妙なカンジだったっぽいけど今回私初めてグッドマンでみてぜんぜん不安なカンジも受けず全くよかったです。「あののか」はやばかったね。


でもうcero観て帰りたいきぶんでしたが春風堂が最後だったので、がんばったらその甲斐ありました。
変な意味じゃなくて安心できる演奏です。なんだかめちゃめちゃ包容力を感じました。
そんで、新曲がとてもよかった。
ああだこうだ言ってもみることのできる事はこの世の一部で、それでもじゃあ何もみえないから何もみないというのは違うなと思って、なんというか春風堂はとにかくあかるくて、希望みたいなもんがあって、それはやっぱりイイなと思うんだよね。
感じた事が漠然とし過ぎててうまく書けませんが、とにかく春風堂は面白かったしその日のトリとしてだいぶさわやかな気分にさせてもらえました。



誰かが投げるものが無くなったら私も受け取るものがないわけだね。
カメラ忘れた。せっかくのってきたのに

おまけ































リハ中、尾林くん。ピックアップが付いて生まれ変わったフランケンくんはとても頼もしくみえました。これだと見えてないけど。
土岐チームリハ。ばんどうさんは鈴、タンバリン、トライアングル、ベル、口琴、ちっちゃい鉄琴などをマルチに操ってまして、ばんどうコーラスが入る土岐ソロ曲ちょう良かった。兄はこのようなスマートな楽器を使用してました。おしゃれですね。本番もだけど、三人のリハ、なんかすごいよかったんですよ。
ほたかさんの本番中。このスタイル、なんかみるだけで安心しますね。
色々こまかいこと書いてしまうと2万字になりそうなので無理ですが
面白いこといっぱいあった。


20090219

冬号がおわりましたよ






















おわりましたよー
来ていただいた方ほんとうにありがとうございました!
演奏していただいたみなさんありがとうございました!
なんか・・不摂生とかバイオリズムとか睡眠時間少なかったとかのせいもあるんですけど、ひさしぶりに尾林くんに会ったら妙に面白くなってうかれてしまい、また土岐チームのリハがほぼ通しだったのでそれにめちゃ集中してしまい、穂高さんのリハ前ごろまでに既にクタクタになってしまい、結果もの凄いテンションの低い自分になってしまったことをみなさんにお詫びしたいです。すみませんでした。


前回のおりんぽしも、今回も、出演してくれたみんなのおかげで、みんながお互いに無意識に自然に相乗効果のようなものを発生させて、結果とても「良いもの」をつくってくれている事が、ほんとうに凄いと思います。やっぱりライブっていうのは、あとで説明してもその場にいなかったら解らない空気があって、だから私はライブが好きなわけです。
私には予測できないものが生まれていたと思います。
本気で、もっと色んな人にみてもらいたかったなあって、すごく貴重なライブだったと思う。


今回は穂高さんも土岐くんも、尾林くんやファンタスタスを好きだと言ってくれてて、私も尾林くんもふたりの音楽が好きで、こういう企画が実現するという事が既に我々は嬉しかったわけです。
穂高さんのうた、ひさしぶりにうたききましたが、柔らかくなってるようなカンジがしました。どうかな。最初アコースティックギターで、それから鍵盤も使ってくれました。よかったなあ。穂高さんは、強いうただけどホントはうただけじゃなくって、楽器の演奏のたのしさをちゃんと感じさせてくれるし、それをみるのはほんとに面白いなと改めて思ったので、まだ穂高さんのソロを知らない人はやっぱり一度みてほしいです。


土岐×ばんどう×ヌードルは、もともと土岐くんソロにオファーしてて、そのあとばんどうさんが、それからお兄ちゃんが参加したいと申し出てくれて、結果バンドみたいになるわけですが、「弾き語り企画」なのにいいかな、っていうのもありました。でもそこは今まで土岐×誰々という弾き語りから派生した良い効果をみてきてたので、それもまちがいなく弾き語りのかたちだという考えで参加していただきました。何よりおふたりがやりたいと言ってくれたのがやはり企画者としては嬉しかった。
そしてちゃんと、土岐くんのうたありきの演奏を、三人でしてくれました。愛にあふれた土岐くんの世界ができてました。
ひさしぶりにきいた土岐くんのソロ曲はやはり、素敵な曲ばかりだった。いなかやろうのアルバムのミックスで忙しい中、新曲も用意して、やってくれました。


尾林くんは全然キャッチーじゃなくて素晴らしかった。キャッチーじゃない、というのはもちろん、そうじゃないんだけど、尾林くんがやりたいだけの曲をやってくれたことが凄かった。そうゆうのは凄く解りづらい事なのかなあと思ったけど、やっぱり尾林くんが全開じゃないと面白いものが観られないんだよね。そして尾林くんが全開になったときはキャッチーだと、矛盾してるように思うかもしれませんがそう思うので、で、やっぱり季刊おりんぽしではそうゆうことやってもらいたいので、凄くよかったです。私は、できれば、ただのお客さんとして観たかったなーと、思いましたが。そこはもう季刊おりんぽしのジレンマですな。


これだけ良いイベントが出来たのに、やっぱりお客さんはもっと呼ばなきゃいけなくって、もうすごく悔しいんだけど、尾林くんが僕は客寄せパンダにならなきゃいけない。と言って、そうかと思って、私もだなあ、私の企画だったら面白いってもっといっぱいの人に思ってもらわないとこんないい演奏がもの凄い勿体ないわけで、悔しい。
それでもみんなが楽しかったって言ってくれて、出てくれたみんながメールをくれたりするのは、ほんとは私からしなきゃいけないとゆうのに、みんなからくれて、ほんとに嬉しいなあっていうか凄いことだと思って、そっかー、私はいい企画をやってると自信持っていいんだと、思ったんですよ。
みんなライブハウスになんて行かないんだよなあって思ったりライブってなんだろうとか思ったりしちゃうんですがやはり原点にたちかえれば土岐ソロを観にもぐりこんだ円盤とか穂高さん企画を観にもぐりこんだ無善寺とか、あのころのことが全てなわけでて、だーれも知ってる人が居なかった場所で、音楽だけで私たちは繋がることができて、で今こうやってこんなイベントをやれることはほんとうに凄いことなんですよ。


尾林くんの言う「生きたいんじゃなくて生きようとしたい」、ということ、
それは今の社会からしたら贅沢なことだと言われるかもしれないけど、ただ生きたいとばかり考えたから今のこういう状況の世の中なんじゃないかしらと漠然と思います。今私に生きようとしたいと思う事が少しでも許されているならやはり、頭が悪いなとか愚図だと言われても理想は捨てたくない、あとでどんなことになろうとも、諦めるなら私は生きなくてもいいなあと思います。
ということで、私は私の企画を素晴らしくするために賢くなりたい。私が思う賢さっていうのはマリーシアじゃなくて、ほんとに小学生みたいな正義っていうか、大人にならない賢さみたいなものが欲しくて、それでは生きられないよって思われるだろうけど、試したいです。


考えた時点で負けだと理解している勝負でも、それしかしたくないです。
No music, No life なんてクソだと思うんです。そんなただのスタイルだけのフレーズ大嫌い。
アタシは音楽だけじゃ生きて行けない、音楽を愛してるみんなが居るから生きていけるのだと考えます。


写真は土岐チームの本番を横から撮影したところ。「ヒッチハイク」は素晴らしかった。
それからほたかさんとゆきんこちゃんを隠し撮り。なんの話をしてたのでしょうか。
そしてばんどうさんが撮ってくれた、コーヒーカップの中で演奏する尾林くん。
素敵すぎ。

20090216

水曜おりんぽしでしょう

イラストは尾林くんです。ペモンヒョとかめ吉


前回は「是非ちらしをゲットして読んでください。」という意味でした。画面じゃ潰れてますからね。
もう自分じゃ何書いたか覚えてなかったんだけども尾林くんにいいっすねと言っていただいたので、名文だ、と思ってます。なんかいっつもそんなこと言ってますね。励まされないと生きてけないです。励ましあっていこうよ。
そんな名文とか言うならもっとはやく配れって話ですけどね。
とにかくもう水曜です。
一般的には平日なので、開始を19時30分にしてますよ。
一般的に水曜はノー残業デーかもしれませんよね。
来てくださいね。
穂高さんか、土岐くんか、おりんぽし、観た事ない人に、ぜひ観てもらいたいんですけどね。





演奏の順番は、

穂高さん、
土岐くん(とばんどうたろうと刈田ヌードル)、
おりんぽし


です。
よろしくお願いします!



20090210

くらげ合奏

前回の鳩山マンスリー、鳩山浩二と高城晶平で「くらげ」、の、動画です。
川畑さんが撮ってくれてたやつですかね。
鳩山さんの照れ笑顔と高城くんのはいりこみ具合を堪能しましょう。




みんなで唄いたくなるね。




明日は鳩山さんの企画です。生音演奏会。
私は残念ながらおじゃまできないのですが
明日のおひるに予定の無い方は足を運ばれてはいかがでしょう。




そして今夜はハルボナーラです。

今日午前中10キロ近く歩きました。インターバルありですが
昼間はいいね




20090205

冬号














二回目のちらし。
がんばって記事入力したので是非読んでください。


今回が前回と違う所は、鍵盤を持って行く予定だということ。
年末に尾林くんが某所でグランドピアノを弾いてみたところ、いいかも!ということで
穂高さんと土岐くんにも使っていただけたらいいんじゃないかと、いうことで
持ってってみます。
そして、今回は土岐くんのゲストとして、ばんどうたろうさん(いなかやろうドラム押田さん)と刈田ヌードルさん(灰緑ベース刈田兄ちゃん)が参加してくださる予定なので、ギターだけじゃない、バリエーションとふくらみによる効果がなんかあるんじゃないかと目論んでいます。


若干実験的になるかもしれないんですが
私企画ではそうゆうとこも大事かなと思ってるので
トライしてみよう。
今回も尾林くんからのおみやげは用意してくれてるみたいなんで、平日なんですけど、遊びにいらしてください。
私仕事辞めちゃったんで、ほんと、これと3月の企画と、来てもらえないと厳しいです!まあ辞めたのはお前の勝手だろって話ですが、もーなりふりかまってられませんよ。
まあそれはともかく、
私も尾林くんも、きっと穂高さんと土岐くんも、ばんどうさんも刈田さんも、楽しくなるに違いないと思ってるので、是非その空気を感じに来ていただきたいですね。
よろしくお願いします!




季刊おりんぽし冬号
@江古田フライングティーポット
開演19時30分


出演:

穂高亜希子

土岐佳裕

おりんぽし





鴨志田くんのおはなしたち

鴨志田くんの小説のはなし。
私が読んだ鴨志田くんの本1:作為の包容(長編)
私が読んだ鴨志田くんの本2:短編集(楕円のミラージュに関するおはなし)
どちらも自主制作、DIYです。
プリントして穴あけて紐通した製本です。


何から書いたらいいのか、鴨志田新悟くんが何者か?自主制作の小説って何か?
とどっから書くか考えてしまうともうアレなので、私の読書体験を書きます。


私は鴨志田くんの文章を読むと興奮します。
正直、私は最近本を読んでいない、何を読んだらいいかとか、何の知識がほしくて読むのかとか、衝動が無いです。これは老化だとも云えるし達観だとも云えそうですがまさかもちろんどちらでもないでしょう。
鴨志田くんの本を読んだのは、鴨志田くんを知ってるからだと思う。
私が今聴く音楽同様出逢いがあったからだと思う。
それはまあいいとして、最近本を読んでない自分が小説がどうのとかは書けない事を前提に書いてるという話です。
こないだ弦二さんブログのこと書きましたが、そこで「読書の体感」のことが出て来ましたが、私は「モモ」を読んでいませんが、それだと思います。
小説に、ストーリーとかおちとか感情の変化とか共感とか一気に読めるとか早く続きが読みたいとかそういうのを、何を求めるかわかりません、みんなが。それぞれ。
でもたいがいそういったことを求められてかなうものがたくさん売れてるのかなと思う。鴨志田くんはだいたいそういうの無視してる。
ストーリーもおちも続きも全部こちらに任せているともいえるし、逆に全て文章に表されてるようにも感じる。
そういうとどんな前衛的なものかと、誤解されそうですが、長編にはちゃんとストーリーもおちもある。
一番近いのは、というか大事なのは、鴨志田くんの文章は音楽みたいだということです。
具体的でない感情、確信的でない行動、慢性的な病のような生活、可能性に賭ける想像力、そういったものを感じるための文章だと思います。
確かに意味があってイメージがあって、共感や共鳴がある気がする。
西荻の西友からデリー行きの飛行機が出るのは嘘だけど、それはおとぎ話や幻想ではなくてイメージであって、まあそこまで云ってしまうとつまんないけど、っていうのは、それは音楽もそうかなと。
読んでいると音楽をきいてるときに近い高揚感があります。
短編集の方は時間と時代、国籍、文化、生態、のX軸Y軸を何度も跨いでシャッフルされたモチーフがいつの間にか繋がって行くということに相当ワクワクして、一気に読みました。
熊の消息や博士の性器の無事に安堵したりする遊びも楽しい。
小学校の図書室を思い出した。
私が一番本に夢中だった頃かもしれない。
世界が四方に無限で、たくさんのおはなしがたくさんのイラストと一緒に、黒の活字が何色にもみえるような楽しい時間だった。


なんかこれちょっとおしゃれっぽくないかぁー?と思ったりするけど、鴨志田くんに会うと一気にリアリティが出るっていうか、こういう人が書いてるなら全然信用出来る。と思ったり、します。
こんなこというとおおげさに感じるかもしれないけど、そうでもなくて、私はもっと鴨志田くんのおはなし読みたいなと思うし、なんかもっとうまく感じた事を私が書けたらよかったんだけど。私は賞金20万円は出せませんが、もっと読みたいです。鴨志田くんの小説を大事に読む機会があってよかったなあと思います。



会社辞めた日に、いろんなことを思ったけど、「私は目に銀河がはいってしまったのかもしれない」と思うことにました。
「記憶を塗り替える工場」で働こうかな。受かるかな