20111102

東京の演奏2011 を終えて

あの日の東演にはいやに熱気があった気がする。
あれをみた人はどう思うんだろうと。
もう結果でしかないですね。自分のやりたいこととかもう、そこにはないね。いつだってそうゆうもんです。
それもこれも山下三四郎さんをよんだことが大きいと思います。
あの日、山下さんがいなかったら路線が違っていた気がする、、、。
正直それがいいのか悪いのかわからなかったんだけど。
でもやっぱり、あれが東京の演奏なのか、ときかれたらやはり「そうだ!」と言えるので、きっと、むしろ、山下さんがいてくれてよかった。
やはりあの人はすごいなと改めて思います。
そのすごさの実体は私にはまだわからなくて、そこがまた憧れでもあるのです。


パンツがないよ 模造紙あるよ
即興で始まった山下三四郎さん(初めて観た)のライブは、実際とてもよかった。ソウルフルだった。
アクトとしてもちろんのこと、曲が良いし唄も良い。
可能性という言葉は彼のためにあるのではなかろうか。決まりきったことは何ひとつもない、どこへでも行く可能性を私たちに感じさせながら演奏をしていく。彼と同じことは誰も出来ない。
フレンドリー吉田氏が彼に対して「知性」という言葉を使っていました。はっとした。あまりに私は彼らの(おもにとんちれこーどの人たちに関しての)知性を享受することにあたりまえになってしまっていたけど、ソレだ!と思う。
ど れ だ け ! バカなことをしていても、知性があり品があるから、私はあの人たちに好意と敬意を持つんだと思います。
林谷さん、コボちゃんが参加、Mr.ホワイト片岡さんがまたからまれてましたね。


あだち麗三郎クワルテット。
クワルテットの演奏に何か私が伝えられることなどあるかしら。
よかったとか、いいとか、私が褒めても仕方ないような、、、
あだちクワルテットの素晴らしいところは多分山ほどあるし、音楽的なところに関しては私は何も言えないので。
私が思う、言える彼らの良さといえば、クワルテットはとても気持ちが良いということ。
何をやっていても、聴いた人誰にでもすんなりと曲を気持ち良く聴かせてしまうと思う。
それはつまりあだちくんの曲の良さを伝えやすくしているということなのかな。スゴク雰囲気があるのに、なんだかとても大衆的なカンジがする。そこがカッコイイと思うんです。
伴瀬さんは「ジブリの一番いいとこで使われる音楽」と言ってた。

あだちゃんの音源を私は、正直に言えばいつでも気軽に聴くっていうかんじじゃない。でもきいたときにはやっぱり曲が染みついていて、まるでそこにいる「私たちの」テーマソングかのような気分で、懐かしいような、大切な気持ちになる。きっと最後に私たちを助けてくれる音楽は、こうゆうのなんだろうと思うんだ。
山下さん(やましたさん?あれ誰?)が参加しておなじみの名曲「富士山」、
伴瀬さんも参加して、「六月の夜の都会の空」を。


伴瀬朝彦さんはソロをエレキギターとピアノで披露してくれたわけですが
一曲目から緊張感があって、良かった。当然、良くないと、伴瀬は、イカン。ばんせなんだからな。
ピアノで「サンボとおでかけ」、この曲初めて聴いた。
「小心者讃歌」はアルバム「ライブ」の中で一番好きな曲と言える、これも実は私ライブで初めて聴いたみたいなんですが、アルバムではメンバー紹介が入っているため歌われていない、知らなかった歌詞が!
いいじゃないかこの歌詞!
そしてソロではピアノが多い「タワー」をギターで、などなどマニアックな悦びがありつつ、あだちクワルテットによる演奏も。→伴瀬クインテット
伴瀬+クワルテット、「既に良い」と事前のブログに書きましたが、こういう「良さ」かと。
どのアナホールでもなかっただろうし、アナホールではないであろう、良さ、おしゃれ度。新鮮だった、、、!

今年生まれのとんち新メンバーである さん と、その父である片想いの片岡シン、東演を観にきていたホライズン黒岡まさひろも登場して、すっかり大騒ぎなカンジになったなー。
身内でスミマセン。
さん はほんとにおとなしくていいこにしてて、びっくりする。そして山下さんの声が好きみたいだ。


その流れでのフレンドリー、演奏するフレンドリーよりお客さんがフィットしづらかったかもしれないと気になりましたが、、、


friendly hearts of japan 、今年の東京の演奏が開催できたのは、彼らをよびたいと思って、そして来てくれたから。
ほんとは新しいアルバムをもってきてくれる予定だったんだけど、なかったわ。(ご期待)

音楽を聴いたり観たり続けていると、複雑なものとか、難解なものとかがどんどん面白くなったりするけど、やっぱりもともとはビートルズが好きだったり、ヨーロッパのインディーズにはまってジャケ買いした時期があったり、たまにオルタナっこの血が騒いだり、そうゆうのは世代にもよるけどみんななんかしらあると思います。
そういうシンプルな気持ちをかきたててくれるバンドだったのです、フレンドリーは。
そしてもちろんそれだけじゃなくて、そのシンプルさの中になんとゆーこだわりを持った、持ち続けている人たちなんだと、初めて観た時に思いました。

あの三分足らずの曲達が、どれだけこだわりを持って構築されているのかが、そのときなんとなくわかった。
彼らが「こだわり」だと思っているかはわからないけど、さらっと演じられている曲のなかに「なんか」が凝縮されてなきゃ、あんなに良い曲がむしろあんなにさらっと演奏されるわけがないと。
そしてそのさらっとした佇まいがどんなにかっこよく感じたことか。
エフェクトもない。持ってくるのは楽器とギターアンプだけ。ほぼユニゾンのコーラス。
押しつけのない潔さ。
永遠の憧れってのはああゆうバンドでしょう。
だからフレンドリーは私にとってアイドルでもあるのです。

なんだかアホみたいな言い方だけど、ガイジンみたいなんだよな、フレンドリー。
そうゆうバンド、90年代には結構みてたけど、どっかいったし、でもフレンドリーはかっこいいままで、いる。
「スタイル」じゃなくて、「音楽」だからなのかな。

メロディに関してもですよ、雰囲気とかキャッチーさとかでメロディメーカーと呼ばれる人は意外といっぱいいると思うんだけど、フレンドリーにはそこにあとひと味、何かが!なにかがある!その何かが自分の中に螺旋を起こして、何度も聴かずにはいられずに、聴くごとに感動をそそるのです。
歌詞も隅々まで素晴らしいんだけど、ひとつ挙げれば、アンコールの前の最後にやった曲、「ありがとう」って言葉が入ってる。その前にどんな歌詞があったのかはよくわかんないんだけど、それが何に向けてであっても(もしかしたら逆説的なもんかもしれないんだけど)「ありがとう」って言葉が伝わるわけで、ささやかに救われる人がいるんじゃないのかなあとか思って私は七針に行く車の中であの曲を聴かせてもらって、泣きそうになりました。
そうゆう
ささやかさが滲みる、フレンドリー。

ささやかな生活を送っているであろう、と推測する、大阪の人とは思えない静かな(失礼)あの人たちそのものも、とても好きです。
またあいたい。


正直言って
あの日に彼らの良さを知るのは難しかったかもしれない。何故私がフレンドリーを東演に呼んだのか、どれくらい伝えられたかわからない。
小鳥美術館の時も実はちょっとだけそう思ったし、次に呼びたいと考えてる人もそうなる気がする。
個人の好みなら伝わらなくていいものかもしれないけど、私はおいそれとは呼んでないぜという自負があるから、東演に呼ぶのは特別なことだと自分だけは思ってるから、それはちょっと気になるところです。
でもなんかむしろ、そうゆうことをやればいいのかもしれないと今回思いました。
わかってもらえなくてもいい、というのとはもちろん違うんだけど、自分が心動かされたものを自信を持ってみてもらうことを続けたいし、お客さんのちょっと先を行くくらいじゃなきゃいけないような、はやる熱情だけでもいいんじゃないかというような、なんだかそんな気持ちです。


トータルで今回の東演がどんなだったのか
毎度ながらいまいちわかりません。
私がそんなでも、楽しかったとか、よかったとか、言ってくれた、あなたたちの言葉を信じます!!


そうです。
最後になってしまいましたが
足を運んでくれたおきゃくさま。
来てくださってほんとうに感謝しているし、嬉しかったです。
楽しみに思って待っててくれた人たちがいたことも、嬉しかった。
いつもそれは言葉だけで終わってしまいそうになるけど、あの長丁場を笑顔で楽しんでくれたみなさんのことを忘れないでいたいと思います。

そして続きがありますように。

結局当日というのは、私は何もしていない。
お客さんと、演奏してくれる人と、場所が、いつの間にか何かを創ってくれる。
出てくれる人はもちろんのこと、東演はお客さんが素晴らしいと毎回のように思います。今回は、お客さんのレベルも更に上がっているように感じた、、、!これは負けていられないってことですね。
がんばんべ!


それから、使わせていただいて七針がもっと好きになりました。
円盤の田口さんとハポンのモモジさんと七針の林谷さんに共通するものがある。
それは言ってしまうと何か違ってしまうかんじするので言いませんが。




フレンドリーへのおみやげとしてアルフレッドのデスマスクを持って帰ってもらいました。
トんでるな、、、眼鏡しか写ってないな。





あらぴー→円盤→ビーサンちの玄関→440→伴瀬んち→フレンドリー、と大阪へ行ったアルフマスクは次はどこへ行くのか。あなたのところかもしれませんよ!