20101024

期待パーティー


こちらはちーむチームうっどウッド
ある日の。






こちらはホライズン山下宅配便




「期待パーティー」
なんつうか期待を超えるパーティーでした。

ドラムはスネアとハットとカウベルだけの(あれはスネアじゃないし)セットでありんしたが
そうゆう日の演奏も、さすがのホライズンさんでありんす。


演奏→調理VTR→食事(期待の曲間のこと)→レクリエーション
という
恐るべし幸せな構成。


楽しかったね。すばらしかったね。



神々の期待にこたえ、



ともだちとハンバーグを食べます。(しまだくん)









感激の渦。

20101011

名古屋の演奏だーー

東京の演奏が名古屋におじゃまします〜!!

タイニーバンパクとの年忘れ共同企画!

東京×名古屋バンパクまつり
12/26、日 17:30/18:00

出演:
【名古屋】KARESI/スティーブジャクソン/紙コップス/葉っぱの裏側シスターズ/HADA
【東京】ファンタスタス/Alfred Beach Sandal/灰緑


もちろん会場は鶴舞KDハポンだ!!

ついに東演遠征!
しかもハポン!
モモジさんに誘っていただきました。
嬉しいんだよー。





2010東京の演奏は

12/2 @440 小鳥美術館/ザ・なつやすみバンド/片想い

12/26 @KDハポン バンパクまつり


と、なります。みてください。
入魂!

20101005

灰緑

ハイミドリの里帰り 2デイズ


灰緑はメンバーが抜けて、新しいメンバーを迎え、再生しました。
そしてようやっと東京は無善寺に戻って参りました。
パズーとハトたちは関係ありません。
その間には関西や北関東でめちゃライブやっていた。


灰緑はメンバーがそれぞれに仕事を持ってて忙しいうえ
遠距離というハンデもついた。
普通にバンド活動するうえでもとてもハードなことだ。
でもそれは逆に今まで以上の遠征を可能にしたともいえるのかもしれない。


今月は新潟、
来月は大阪で2本、東京で3本のライブをするらしい。


彼らがやめなかったことと、
今のスタンスを確立しようとしてることは、
彼らが馬鹿じゃなかったことが証明されて、誰より賢いことをしているという希望。
なんにせよ敬意を払って一回一回のライブを観たい。


ようするに逆境を(力技だとしても)はねかえしたのは
根性やら友情やら以上に、彼らの『センス』でだと、私は思っている。
そうゆうセンスを持っているから、彼らが好きだ。
そうゆう灰緑に多くのひとが慕い手を貸すのは当たり前で(それは今まで彼らが培ってきたことの結果だし)、そうあるべきだ。


とはいえ、本当はわざわざこんな説明する必要は無いのだし、
こんな前置きがあろうとなかろうと灰緑のライブにはなにも関係がない。
ただもー目の前で起こっていることに夢中になれるだけだ。
おさむちゃんに「こっちゃんのキレが戻ってきた」と言われたのは
灰緑があたりまえになったからだと思うんだ。
私なんの心配ももうしてない。知らねえ。
いいからライブ観せやがれってもんで。
そうゆうあたりまえの灰緑をいま彼らは客にみせている。
それでもそこには いかとたたかうひとの生活 があるから。
そんなライブ、観る価値はいわずもがな、
ごちそうさまでした。

20101004

cero

無善寺でみたceroになんかやられている。
ずるずるずっと考えている。


その日彼らはいつものコンテンポラリーとかゆうカンジを無視するかのように
あると思っていたスティールパンは無く、管も無く、トリプルギターでロックを奏で出し
いつもの曲が完全にカスタマイズされていた。
珍しいことではないんだよな。
ceroは観るたび今日のことをするし最近はそうゆうのが顕著だし


ただなんかみせつけられた。
でもその前にただわーってさせられてさ。
面白いんだもん。


ceroって別に頭で考えてないと思うんだよなー
彼ら程 下品なくらい貪欲に楽曲に取り組んでるバンドってそういない気がする
まさに貪り欲しているよね
それを狙ってるみたいに思うかもしれないけど
狙いってあたりまえにあるべきだし


彼らの自由さと、その自由を体現できる能力というのはほんとに恐ろしい。
そうゆうのやれてしまうと緻密になっていくかもしれないけど、でもがさがさした部分も確実にある。
だからceroって全然ライブバンドって感じではないのに、
ライブを観る面白さが実はもの凄くあるんだな。
それはこっちの勝手で、そのへんは多分全然狙ってないんだろうけど。
だからなんかそこまで心に届かないライブの日もあったとしても、
今回のような時には素直にぎゃふんと言いたい。
しかも私はceroは心で聴かない。
体感だと思う。
ceroはバンドというよりは現象みたい。


特に無善寺みたいな場所では
ceroのような音楽は鼻についたりもするかもしれない。
だけども、ceroはどーゆうロックとかパンクとかそうゆうのより、もの凄く破壊的で攻撃的だと思うよ。
ピースフルな予定調和が無いもんな。
書いてて怖い。
そうゆうのがいいとか悪いとか
どうゆうのが好きかとかよりも
彼らの現象が無二であるというところに私は魅力を感じる。


これって、これから彼らの音楽が世に知られて行くうえで特に必要のない見解だと思うけど
なんかちょっとショック受けちゃったので書いた。
ショックだったからこそ、考えたこと。