20110315

声が嗄れるまでうたを謳おうか

東京のみなさんに、労い申し上げます。
なんだかよくわからない長い週末でした。
私の北関東の家族は幸い無事でそれぞれになんとか乗り切っているようだと確認できました。
まだその確認ができない方もいるんでしょうね。

私は金曜に地震が来た瞬間から、おびえました。
私たちの今の生活がなくなるのかもしれない。
それって、ライブだのアルバムだのイベントだのと言っていられない状況のことです。
それが天災や人災に侵されることは、いつでも覚悟していたつもりだけど。

私が怖かったのは、それだけでした。
私がその状況に対峙したときに、何もできる自信がなかったから、怖かった。

でもみなさんには演奏があると思う。
いつも、生活とともにあった演奏が。

「音楽になにができるか」というけど、何もできないと、私は思う。

ただ、あの地震の翌日に行われたマリアハトのイベント。
あのとき、チャージフリー、会場節電、時間短縮とかの条件のもと、440とマリアハトの英断でライブが開催され、お客さんもいくらか集まった。
その時に私は知った顔に出逢いほっとしたけど、彼らに何か与えることはできなかった。
それはお互いそうなのかな。
ただ、居るよということを確認できたことは私たちにとって大切だったと思いたい。
もちろん私たちはそれなりに不安を抱えて足を運んでた。
いつどうなるかわからないこと。
こんなときに音楽を演奏し聴くとはどういうことかってことわかんない。
放射能の不安とか、家族とか、色々あった。

Alfred Beach Sandalは北里くん、一樂くん、MCシラフの三人での微音(でもなかったか)編成だった。
そこに急遽、伴瀬さんが入り、4人はステージとフロア中央に離れ広がり、面白い布陣で二曲演奏した。
エンターテインメントをした。
4人で「エイブラハムの髭占い」と「メキシコ生まれの甥っ子」を演奏したとき、そこにいた人々が暗に共有していた不安が払拭されていた。
確かにその二曲の間だけは。その間だけでも。

そのとき、アルフレッドバンドは、音楽で何かをしたのだと思った。
音楽は何もできない。なにかしなければとか、できると思う必要なんてない。それをうけとる人が、音楽になにかしてもらえたと思ったときに初めて、「何かできる」だけだと思うから。
それは今に限ったことじゃなく、いつだって、そうだったと思う。
なぜ音楽をしているかなんて、そもそもみんなわからないで、でもやってるでしょう?自分がやらずにいられないなら、やればいいだけ。自分の音楽に自信を持ち続けていればいいだけ。
うけとるひとも、やるひとも、自分で決めればいいのです。
今は、自分自身の決断や判断を鍛えるときでもあるのだと思う。


ところがしかし、
何ができるかって?何だってできらあ!という判断と行動を速攻くだしたのが高円寺円盤
最新のニュースhttp://enbannews.blogspot.com/2009/10/cd.html
(これを受けてか自発か、いろいろなライブハウスでも似た流れが。)
単純に、円盤の文化を享受し保存していくことも我々にできること、すべきことと思います。


とりあえず音楽をやるための生活と、そばにいる人を、全部じゃなくていいと思う、自分の視界にいるひとだけでも大切にしていれば。明日音楽ができなくなるかもしれない。でも明後日にはできるかもしれない。
音楽だけじゃなくてすべてのことがそうだよね。
そもそも音楽はそんな特別なことじゃないんだから。ただの生活のひとつなんだもの。

私は自分自身にできることはやりたい。何もしてない。間違うのを回避するのにせいいっぱいです。
災害のときの情報や善意の誤りが恐ろしいのは今までのことでわかっていること。
間違えないようにしたい。
自分の判断を冷静に保つこと。笑えるときは笑うし。
移動手段などで苦労してる方もいっぱいいると思いますが、それでもまだ東京は深刻にならずに乗り切れる範囲です。大袈裟なのはいやだ。今まで通りのこともやれているのがラッキーだと思う。
これから発売予定の新譜のサンプル作ったり、納品の準備したり、今までの続きは、やれるときに続けています。
入ってきた情報には、自分の経験と想像力で対処しなきゃいけないです。
不安や怒りとかも想像力で回避できることたくさんある。


怖かったですよね。今も怖いよね。
それでもみんな、一日いちええやん精神を忘れてないこと、素晴らしいよ。
また会いたいんだよ、いつものように。
こんなブログをアップしてしまって、あとで自分はどう思うのだろう。わからないや。
きょうのタイトルは福原希己江さんの曲中より拝借。きこえています。
http://www.myspace.com/fukuharakimie

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