20091026

居酒屋からスタジオから君の部屋へ

いなかやろうのスタジオライブにお集まりいただたみなさん、
バーチャルの世界から視聴していただいていたみなさん、ありがとうございました!

  
そして逆境をばねにスタジオライブ生中継という試みを実現させたいなかやろう、リハスタなのに場所を提供してくださった(あとおかしもです)サークルサウンズのマスター、ゲストの三輪二郎さん、おなじみのかやるた、

 
完全にこれはもうみんながあったからこその大成功です。
それは私が誰よりも、いなかやろうよりも知っている。

 
私はずっと、番組視聴してる方々からのコメントをみていました。
土岐一族のみなさまからのコメントもありましたね。
みんながネットのむこうでライブを楽しんでくれてるのを知っていました。
そして三輪二郎も、いなかやろうも、本気のライブをしていました。
会場のお客さん(15人くらいいらっしゃいましたね)も、いろんなとこから集まってくれていました。




 
ここで前日のだるま茶屋のはなし。
芦花公園にある、ほんとにふつうの、家庭的な、ちいさい居酒屋さんでした。
あだち麗三郎( withにいみしほ & MC.sirafu )とmomo椿*、この場所があってるんだかなんなのかわからない二組が、かわりばんこに演奏をしてくれて、私たちは飲んで食べて。
それはとても新鮮なことで、でもそれと同じくらい、ずっと前からそうだったような感覚もある。
だるま茶屋に来た人たちも、私がいつも会ってるひとだったり、演奏者の友人だったり主催のkgさんの同僚の人々だったり、それぞれのところから集まっているのだけど、
まるで私たちは夜な夜なそうしているんだというような気分になった。
ライブはとてもアットホームに進み、だけど演奏がゆるいということではもちろんない。
むしろ大地から生えている花のよう。植木鉢のなかの音楽ではない。
いつもはしないよな大合唱も特別だったけれど、
その特別さも、すべてのアイディアも、そこに集まることも、
いまの私たちの毎日を象徴するひとつの夜だったと思う。

 



同じように、サークルサウンズも小さなスタジオだ。
普段はライブなんかやらない。
ここはとてもせまい場所なのだ。

 
だけど、そこにいたひとりひとりが
すでに「ここに来た」触覚を持ち、次に「なにかある」という期待を持ち帰る。
そしてまだ未知のなにかが繋がっていくのだ。
次に出会うものは小さいものと小さいものかもしれないけど、
小さいものはそれぞれが深く、つながりは拡がる。

 


そんなイメージ。
土岐くんが話してくれたこととちょっと違うかもしれないけど、私はそういうイメージです。

 

この日の「すばらしい日々」はそのイメージを包括していて、涙をこらえた。

ネットでコメントを続けてくれたみなさんが、文字で拍手したり、指示をくれたり、いっしょにうたってくれたり(文字で)してて、私はそれにも感動してしまって(今も書いててなきそう)、目の前のいなかやろうは熱いライブをしてて、お客さんがいて、二重のドアのむこうにはマスターがいて、いなかやろうを支えるひとの存在と、それをこうして感じさせる催しを実現するたくましきいなかやろう、私はまたいなかやろうに感動させられた。

彼らといれば私は一生こんな感じだろう。

 


それを感じながら前日のだるま茶屋のことも考える。
そこは別次元ではない。
リスナーにとっては繋がっている場所だから。
方法や歩みは違えど探しているものや行きたい場所があって、確実にそこへ向っている。
 

だから明日何があるかわからなくても、
きっと明日もすばらしい日々のその一日がつくられていくのだと
そのように思わずにいられませんよ。
 



ぼくらはそれぞれ抱えたさみしさを紛らわしたくて
ずっとお互いいたわけじゃないだろう?
 



(これは「パーフェクトミュージック」ですけど)
 

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