カメラの切り替わりに若干恥ずかしい心地がしたのは私だけですか。
みてるひとのコメントをみて思う、
これを1,000人程度の人しかみてないなんて世も末(とは言ってないが)
みたいなこと書いてたかたがいましたが
私は逆でこれを1,000人以上のひとがみてるなんて本当のライブはどーなるんだと思った。
でも最後に「ライブに行ってみよう」というひともいたからいいのか。
最後1,300人位になってたけどやっぱり「ライブテープの前野健太」は有名人だからということなのかな。前野さんが今どれくらい認知と人気があるのかはよくわからないけど
この放送でいいライブ→ライブに行ってみよう という図式は
やっぱり基本のシェアがあってこそなんだろうか。
既知のものをみんなで楽しむというデフォルトが。
もし単純に未知の素晴らしい音楽を知りたいという(報せたいという)コンセプトだとしたら、
あだち麗三郎を出演させてシラフや麦ちゃんをゲストにしていつも四谷でやってたみたいなことをこれで流したら結構みてる人の反応とか話題とかすごいことになるだろうな〜〜と考えたけど
多分そうゆうんじゃないんでしょうね。
で、やっぱりワンクリックでみられるライブってすごいと思った。
こうやって体調悪い時でも家でライブみられるのだ。
でも私は今日実際にライブハウスでお金をとって(おそらくいくらかを自分たちで払って)演奏をしてる何組かの人々のことを考える。
明日のニコニコ生放送のことを考える。
いくら内容がよくても知られていなければ意味がないということだね。
どみゅーんは実際足を運んでいるひとの、ひとつの楽しみ方だと思う。
ただどうしても考えるのは多くの人は誰かの評価とお膳立てから情報を求める傾向にあるということは否めないということ。
それはごく自然なことで決して批判できることではない。
私はあまり魅力を感じないというだけのことかもしれない。
私なんか最近誰かのお膳立てでしかライブみてないから、何も言えないんだけどね。
でも明日のニコニコ生放送は観てほしいんだよなあ〜〜
まっけんさんのすごい出し物があるよ。
まず、ゆるぎないユーモアがあるね、いなかやろうの部屋には。
ねきちゃん企画に行く人だけにはタイムシフト予約を許可します
でも絶対あとでみてよね!!
こう思うとライブに負けることもありうるのだ
自分たちの価値がどこにあるかということだ
むずかしいね
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