20160404

星空に浮かぶ町

 
遅くなってしまいました。
まず、さきに。
季刊おりんぽし〜2016・春〜にお集まりいただき、とても感謝しています。
最初はゆるやかな予約の入り具合で、でもこの人たちに観てもらえるなら、ゆっくり、観てもらえたらそれでいいなと思ってました。
けっかたくさん来てくださってほんとよかったです。
立ってた方には、席なくて、すみません。
あと、お昼って時間でフェイントされてしまった方もごめんなさい。

そしてまた阿佐ヶ谷ロジで季刊おりんぽしをやらせてもらえてよかったです。
ありがとうございます。
そしてトンチャイ。井手くんがいてくれてよかったです。ありがとう。








いままでの、季刊おりんぽしではない、尾林星だった。
初めてかもしれない。
尾林星だなあと心から預けられた。
タイトルは、せっかくだからというだけで季刊おりんぽしにしたから、全然季刊じゃないし、そこには私たちもこだわりがなかったんだけど、
まさにこれは2016の尾林星だったから、そう思った。
何が違ったのか。
いまの尾林くんが持っているもの。
それはむしろ持たなくなったのかもしれない。
背負っていたものをおろしてただ歩いているのかもしれない。
勇者が本当に持つべきものはきっと武器ではないんだろう。
自信とか集中力とか博愛とか
そういうのを、尾林くんはしっかりと自分の曲に向けている。

ひとつひとつの曲が感動的で、すべての音に意識があって、
私たちみんな、あっという間に20曲、聴き惚れた。
ロジというスタジアムで熱狂するかのように。

こんなふうに、自分の大切な音楽を大切に聴けることは、幸せだと思う。
土曜日にも、水戸いったとき、そう思った。
有名だとか有名じゃないとか
流行ってるとか流行ってないとかじゃなくて
大切なものがあるって、私たち幸せに生きてるんだと思った。
音楽だけじゃなくてもそうだし。

尾林星の音楽を知ってて良かったなって
とても単純だけど本気で思う。

年に一度しか観られなくても、それもいいなって思う。
岩手に帰ったらおばロスになるんだけど、それも嬉しいことだと思う。

本当に一曲一曲がたいじに育てられてるんだなあと思う。
全曲に感動。
川みたいにきらきらしている。
尾林くんのギターを、うわあって思うから形容できないかと考えてたけど、できない。
とにかく尾林くんと尾林くんが触る楽器との関係は、見ていて愛おしくなる。
そんな感じ。
 


ここまでを、先週書いてて、
なんとなくあげられず、
言葉がいらないような
もっと自分の中でのイメージを味わいたいというか
言葉にするならもっと上手くとか
そんな欲張りな」感じだったけど
結局そのまま載せました。
尻切れだし
ホセ&トンチャイのこととか
セットリストのこととかこととか
ライブの内容書けばいいのに書かないよ。
あの時の気持ちのままでいいかなと。

大事な三月だった。

もう四月。

さみしいけれど

さらにさらに美しい季節になるように。
 








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