20091209

2000kmさきに届くうたを

ドラムを持ち込み、アンプを持ち込みパンを焼き、いつものたくさんの楽器をロジに詰め込んで、片想いのワンマンライブがおこなわれました。

 

ふつうにクオリティの高い片想いのライブ。ロジだからのマイナスなどかんじさせていない。
むしろロジだからのプラスを生み出す。
その内容を詳しくはしるしませんが、ただただ楽しかったライブは、
終わってみれば、音楽以上に、あのひとたちの存在ばかりが残るライブ。
そうゆうのは片想い的に不本意になってしまうのかもしれないけど、
私にとってはこの日はそんでしかたない日だった。
 

彼らに感じるのは、感情移入や共感といった予測できることじゃなくて、
憧れとか安心感とかそういうもの。
みんなが「まかせて!」って胸をたたいて笑ってくれるようなたのもしさ。
そういうものに飛び込めるうれしさ。

 
この一年で彼らがくれたものは、楽しいライブと輝く音楽と、あとそういうもの。
「管によせて」やアンナルミーナが象徴するように、片想いしかしないこと、
片想いだからこそできた空気感。が、私には衝撃だった。
いまさらかもしれないけど、なぜ彼らはそこまでやれてしまうんだろう。
それはどういう想いからなんだろう。


夢のように私たちのために演奏をしてくれた片想い。
来年は何をするのかな。
片想いにしかできないことを、多くのひとにみせつけ伝えていってほしい。
そんなかんじ。
終わってしまえば、さみしくてしょうがないな。 



ぼーとしたまま翌日は、ベルサンにて
片想いワンマンのオープニングアクトをしてくれたオクダサトコさんのライブを観にゆく。
この二日間はちゃんと繋がっていた。
オクダさんを通したアナホールとか片想い、
相思相愛の音楽家たち、
何よりオクダさんのライブをもっとずっと観ていたい気持ちになったこと、
私はまだオクダさんのことを何も知らないけど
京都にはこのひとがいるんだなと思って
うれしいようなかなしいようなそれでもこころづよいようなふしぎなきもちになった。

 


音楽を前提として、ひとの存在がうごかすものについて。



 

 





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