20151216

HAPPLEと私とHAPPLE

気楽パーティーがおわり、気軽パーティーの配信も明日でさいご。
おつきあいいただいたみなさん、友人たちに、感謝です。
どうもありがとう。
楽しんでくれて嬉しかったです。

おわってしまった…って感じでもないんですけど。
まだハラモーニングのあとがきを、書いてもいなくて。
(でもその前に打ち上げちゃった)
HAPPLEとの一年、想いがありすぎて、なにを残しておけばいいのかわからない。
もし、
私のこのブログが手紙なら、
HAPPLEへ、私へ、どう残すべきか。

この手紙は、君に届いたあと、どこへ行くのでしょう?

という、疑問への答えはひとつ、心です。
だと思う。
手紙は、心に行って、忘れてしまうかもしれないのに、心は記憶とは別ものです。
いま感じたことを、自分が忘れてしまっても、心が覚えててくれる。
私たちは、一年かけて、手紙を書きました。

2015年はHAPPLEイヤーで、
前述のペガサス以上にHAPPLEと一緒にいました。
去年はHAPPLEはあまりライブをせず、やっててもわたしが行かなかったりもしてた。
けど今年は、HAPPLEの年にしようって覚悟を決めたのは、
やっぱりHAPPLEが私を誘ってくれたからっていうそれだけで。

必要とされるのは単純に嬉しいことだし、
それ以上に、ほかのやつにやらせられるかよって気持ち。

こういうこと書くとほんとにあたま、おかしいひとだし、恥ずかしいけど
HAPPLEとは私がやるんだ。東京の演奏以外にできるか。
って思ってたこと、長い手紙を遡ってみて、思い出した。

その気持ちと同じくらいに反対に、不安だった。
HAPPLEに私が何をしてあげられるのか?
何もしてあげられないんじゃないか?


なんかねえ。


いまは、わかるんだけど
何かしてあげるなんて傲慢だし、
私にできることをがんばってすればいいだけだし、
いまならわかるのに、そんな想いで一年過ごしてしまったことを、後悔します。


いまなら、わかる、後悔した、こと。
これが私が見つけるべきことだったのかなあと思っています。
この一年で、何かを見つけなきゃいけない気がしてた。
いちばんわかりたいのは、HAPPLEの想いでした。
どうしてHAPPLEが今年私とやってくれたのか。

私は最後まで気づけなかった。
それは、ペガサスの時と同じ、私は私自身のくだらない理由で気づけなかった。
くだらない決まりごと、拘り、コンプレックスのせいで、
彼らのことを考えてるつもりがわかってなくて、気づけなかった。


もうそういうのは、さよならだ。




















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