20090106

ファンタ in '09

これは私の勝手な意見なのだけれども、木下弦二さんのブログを読んで、誰にも伝えられない感覚をうけました。
モナのとき弦二さんはすごくファンタスタスを気にいってくださってたようで、単純にそれだけでも私は嬉しかったのだけど(くれたとか嬉しいとかいうのはほんとはファンタスタス自身なんだけど、許そう、私を許そうみんな。)今日ファンタスタスを観る前にその文章を読んでも、ただファンタスタスのことを書いてくれてる(くれて、許そう)だけでやったーと思うんだけど、

うーん。

弦二さんは、ただファンタスタスのことを褒めているんじゃなくて、自分の「体験」の事を書いている。
ファンタスタスの音楽に逢った体験を書いている。
私はそのことを思うだけで今感動してしまう。
ファンタスタスの音楽を体験と感じること、
私は弦二さんはすごく開かれた人なんだと思ったのです。
私がいつも意識してしまう、「開く」ということ、「閉じている」ということを、弦二さんの文章を読んでダイレクトに感じた。
何度読んでも、この弦二さんの文章を「こうだ」と私は理解し説明できる自信はないのだけど、
ただ何度読んでも感動して、ちょっと涙が出てしまうくらいです。


誤解を恐れず言えば、私は今までで一番、ファンタスタスに関しての感覚を共感出来たと思ったのです。


こんなことを言ってしまうと恥ずかしいけど、私は演奏家じゃないし、何も覚悟はないし、共感なんていうと申し訳ない。だから乗っかるみたいでとても恥ずかしいんだけど
私が今までだらだらと書いてきたファンタスタスという存在への感覚が
間違いじゃないんだというか
わかんない、みんなもそう思ってるけど言わないだけかも知れないしとか
私は、お前らにはわかんないだろうって言うつもりはないし、そんなこと死んでも言いたくないです。自分が「開かれている」とか思ってないし。(これは私すごく思いきって書いてます。)


ただ、なんかすごく感動したんです。


そうして今日ファンタスタスをUFOでみて、ファンタスタス自身が今日の演奏どうであれ、私は感動しました。ファンタスタスというバンドが大好きだなあと思って、ファンタスタスの演奏に感動しました。今そのステージに立ってるメンバーが一緒に音をだしたときにそれだけで嬉しくなる、そういう音楽が私にとっては大事です。
そしてファンタスタスとごはん食べに行って、ファン太ほんきミーティングに何故か私居たわけですが、話わかるようなわかんないような気持ちできいてると、あー、ファンタスタスって全然、私がいくら贅沢を言ってもそれを上回る理想を既に持っているんだなあと思ったりして、なんつう面白いバンドなんだ。ファンタスタスには可能性があり過ぎるんだ。
一曲一曲がアトラクションのあの高揚感、じゃーん!て鳴った時の喜びは、私を生かします。
3月のファンタが5月のファンタが9月のファンタが楽しみです。山でも谷でも楽しみです。
いくら言ったって足りないぞ。どきどきします。





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